頭山の聞き比べ
落語の演目に「頭山」というものがある。
僕の知る限り、唯一、アメリカのアカデミー賞(短編アニメーション)でノミネートされた落語出展の作品。
頭山のアニメ化。この試みはとんでもないものである。というのも耳で聞くことが前提になってる話だからだ。
あらすじがこんな感じ(古典の作品って近代の作品に比べてネタバレに罪悪感じにくいのがいいな)
男がサクランボの種を飲み込む
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頭に桜の木が生える
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その木で行われる花見に嫌気がさして木を抜く
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木を抜いた後の穴に池ができる
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池にも人が集まりだす
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男はノイローゼになり、頭の池に身投げして死ぬ。
お後がよろしいようで。
ホントによろしいのか?!
と思ったあなた。多分正解である。あたまの桜の木あたりですでにコイツはノイローゼで間違いない。
さてようやく本題のきき比べの話。個人的に、立川談志と桂枝雀を聞き比べてほしい。
落語を人間の業の肯定と捉えていた談志の頭山は人が死ぬ落ちでホントにゾッとする。
そしてそのあとに桂枝雀の頭山を聞いてみてほしい。
落語を一貫して笑いで捉えていた彼の頭山では、「人が死ぬ」という落ちが観客の大爆笑で称えられるのだ。
ゾクゾクする。