私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

寝ている間に…

名作とは、

名作という言葉以外の言葉を付け足しながら解釈することでかえってその言葉の群から外れた要素によってただ鑑賞するよりも解釈が劣ってしまうような、完璧に解釈するなららその作品を隅々まで味わうしか手段が無い、というようなもののことを言うのではなかろうか。

あえて言葉で説明しなおすことがはばかられるようなものを言葉にして紡ぎなおすというのは愚か者のすることではなかろうか。

 

今回は、そんな愚かなことをしていくわけで…(まぁ、いつもしているか…)

名作の定義は数あれど、その一つに、「見る年齢によって解釈が変わる」というものがある。作品の中に投影する自分の取捨選択の幅が人生がより長くなっていくにつれて増えていくことがその原因だろう。

 

年上の映画好きの人々によると、「今みたいにエンタメがあふれてなかった頃に見たあの感激は近頃の若者にはわかるまい」とのことなのだが、それに対して僕の言い返しは「5歳のころにトトロやオトナ帝国を見たあの時の感想は御老人方にはわかるまい」である。ほかにものび太が骨身を削って貯めた小遣いで購入したラジコンボートをスネ夫のラジコン戦艦に一瞬で沈められたときに「スネ夫を殺して僕も死ぬ!!」と言ったそのセリフに、100%共感した小学生の時の感想と、今読み返してギャグとしての側面を読んだ感想、その両方の感覚を持っているこの感覚は、御老人方にわからなかろうと言った具合だ。


最近、感想の変化を感じた話はグリム童話の「小人と靴屋」である。ドラえもんの道具にもあった。寝ている間に靴を作ってくれてしまうという話。。初めて読んだときは”夢のある話だ”程度にしか思わなかったし、それこそドラえもんのように空を飛びたいとか遠くに行きたいといった子供の妄想の延長にある程度にしか思わなかった。。それが今ではどうだろう。この話は納期に追われた作家が徹夜続きの中で苦し紛れで紡ぎだした話ではないだろうかなどと思ってしまうのだ。そういう観点で見れるようになったということは、僕も大人側になったんだなぁなんて思ったり、いや、課題程度に追われる情けない人間でしかないぞと悲しくなったり…

 

グリム童話はグリム兄弟が編纂した昔話集だからそんなことはないのだろうし、むしろ寝たがらない子供に寝ることを魅力的に映そうとしただけということも十分にありうる。が、正直今の僕には笑えない話である。。

さぁて、現実逃避のためのブログ更新もそこそこに、大学の課題に戻らなくては。