私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

本質の占める割合

ずいぶん涼しくはなってきた。マラソンが気持ちい季節だ。
ま、マラソンよりサイクリング、サイクリングよりドライブ派な筆者なのだが、それはオタクの印象を悪くするので秘密。


車が発達することで馬車や人力車、籠なんてのはほとんどなくなってしまった。でも、ほとんどの物はゼロにはならない。そのものに対して価値を見出すからだ。
走ることがただの「移動」の手段だとすると、移動としての走りは無くなる。でも「走る」はゼロにはならない。残った「走る」の量が本質であるところの「走る」なのではないかとふと思ってみたりした。車が開発されても、船が開発されても、オリンピックの種目から、トラック競技や水泳競技が無くなることはない。

テレビが一般に広まって、新聞紙はこの先無くなるだろうといわれた時代があったそうだ。しかし、一人一台スマホを持ち、ネットニュースが氾濫する時代になって、新聞の発行部数はグンと落ちたとしても、新聞はゼロにはならない。きっと新聞の本質に需要があるからだ。

オセロや将棋やチェスで人間はコンピューターに敵わなくなった。でもチェスや将棋はなくならない。「勝つ」ことが本質じゃないからだ。

電子書籍があっても紙の本はなくならない。きっと紙の本質があるからだ。

続く