私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

女みたいな気配りの話。

この男女平等の時代にこのタイトルは自分でもどうかと思うのだけど、今朝見た夢の話を。

夢と言っても思い出に近い話で、多分8歳とか9歳ごろの夏休み。
家の前で工事をしていて交通整理員のおじさんがが真夏の暑い中、分厚い作業着とヘルメットで立っていた。工事員の人は昼休憩の最中のようだけど、交通整理員のおじさんは立ちっぱなし。うちの前の道は別に車通りが多いというわけでもなし。一緒に休んでお昼ご飯を食べればいいのにとも思ったのだが、大人の仕事事情は知ったことではない。
そんなときふと、2,3年前に(だから5,6歳のころ?)母が似たようなシチュエーションで家の前で我が家と全く関係ない工事をしている人に冷たい麦茶ふるまっていたことがあったのを思い出した。僕はそれをカッコいいからいつか使ってやろうと企んでいたのだけど、今がまさにそのチャンスである。ちょうど、今、我が家の冷蔵庫には兄が帰ってきた時に飲むように作っとけと命令されて作った麦茶と製氷機には氷がある。これを交通整理のおじさんと休憩中の人とに配れば大人に気配りするという大人の真似事もできるし、正当な理由で兄に嫌がらせもできて一石二鳥だ。
食器棚からせっせことお盆とコップを取り出し、氷と麦茶を注ぐ。氷と麦茶の在庫はちょうど切れる。しめしめ、これで作り直したところで兄は氷無の薄い麦茶しか飲めない。複数のコップの乗ったお盆を持つのは苦手だったけどよたよたと運びながら、まず交通整理のおじさんに、そして休憩中のおじさんたちにお茶を配る。休憩中のおじさんたちのコップを回収し、帰り際に交通整理のおじさんのコップを回収。
その時に交通整理のおじさんにこんなことを言われる。

「君は女みたいな気配りができる子だねぇ(笑)」

おっと、これは大人な会話をするチャンス、
「ただの母のマネです。それに、最近はこういうことができないとおじさんの周りにいるような気を配ってくれる女の子にはモテないんですって。。」
キマッた。。。

数十分後、帰宅した兄に麦茶もろくに入れられねぇのかと嫌味を言われると…


こんな話。



 

思い返すと我ながらいけ好かねぇガキである。このセリフを吐いた当時は映画みたいな(これもよくわからんが)ひねりある言い回しで大人びたことを言ってみたかったというのが大きくて、別に言ったこと自分の本心がどれほど含まれているかなんて大した問題じゃなかった。

かくいう大学生の今の自分は、自分の中に何か差別的な発想があることを自覚するような状態。別に女みたいな気配りとやらを男がするのはカッコ悪いとはこれっぽっち思わないしそれがカッコいいなら推奨されるべきだとは思う。が、"女みたい"とか"男みたい"といった概念自体は十分存在するものだと思っているし、そのこと自体を否定するような無差別主義者には違和感を禁じ得ない。正直、男女平等とかは時代の流行りだと思っているし、局所的に男尊女卑ならぬ女尊男卑みたいなこともまれに感じてしまう今日この頃である。こんな夢をいまさら見て、なぜこんな引っ掛かるのかもイマイチぴんと来てはいない。多分、夢の中と同じ出来事が今の僕に起きたら、冗談として8歳の僕と同じことを言うような気がする。10年以上たって同じセンスというのも大変情けないが、これは今年年男になる僕が発することとして成立している冗談なのか、はたまた反時代的な冗談なのか。。

と、ここまで冗談として成立しているかの是非を考えてしまっているのだが、どうもここ最近の僕のSNS下手くそ具合から鑑みるに冗談の可否以前にここで何か大人びた上手いことを言ってやろうという発想自体が世の中のどこにも需要がないことだと思ってもみたり、、、



何か一つ文章にしたためるぐらいには考えがまとまったなと思って書き始めたけどやっぱなんもまとまってないなこりゃ。