私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

経ったねぇ一年。。。。

サボりもさぼったり丸々1年。。。

 

どこから綴ったらよいかもわからないのだけどまずは一つお礼から。こんな辺境にも等しいブログ。更新をサボっていたのにも関わらず実はじわじわとアクセス数が増え続けるという(読者ボタンを押してくれた方はいないのだけど、まぁ、その努力をしていないので当然か。)…
あまり読者数を伸ばすための勉強はしていないのだけど、これは開設期間が延びると当たり前の事なのか?にしても、

 

ごめんなさい。と有難うございます。

 

この二点は記しておかねばなるまい。実はこのブログ、更新はされ続けているんですよ。公開していないだけで。

それ日記じゃんと読者の方はおっしゃるかもしれない。そう、おっしゃるかもしれない。しかし公開してないのにもかかわらず、まぎれもないブログである事は実は確かで。コメントとか来るしね!、ぼくから
と、まぁ僕の奇人ぶりはこれくらいにしておいて。

真面目な言い訳、屁理屈をこねると、

 

「発想が偏るのが怖かった」

 

という理由が挙げられる。

ブログを書いたときにしかできないような年齢に左右される発想、気づきを記録することが僕にとってのこのブログの意義なのだけど、このコロナのご時世で、気づきのキッカケになる人や物事に触れる機会がぐっと減ってしまった。そんな状況で無理に文字を連ねると、既に自分に出来上がっている考え方を繰り返しアウトプットすることになってしまって、自分の考えが凝り固まる方向にこのブログが作用してしまうんじゃないかという危惧が出てきた。それが怖かったしこのブログの更新が止まった時点でその兆候が出始めていた。というのが真面目な言い訳。単純にネタ切れが原因だったともとれるのかもしれないけど。

だから公開していないブログはこんな中でも出会った気づきをメモしていたにとどまっている。

ただ、AfterコロナでなくWithコロナの時代を生きなくてはいけないのだとしたら、こんなご時世でも発想はしていかなくてはいけないという事になる。事実、コロナでも気づきはゼロにはならなかったし、それを展開して新たな気づきにすることもできるという事もとなくわかり始めた。(だとすると、1年前までの毎日更新は一つの気づきを引き延ばしていただけで、それすらもできなくなるくらいのネタ切れになっていたということになるのだけど、それは置いておいて。)このタイミングで更新を復活させる気になったのが何故だかは具体的にはわからないし、更新も毎日とはいかなっていくのだろうケド、まぁできる範囲で頑張ります。という、自分に対する決意表明です。それもすぐに明日からというわけにもいきませんでして、、、

 

当方大学生、今年は大学受験に大きな変化があったことなんぞに気を留める余裕など一切ないほど単純な課題に追われております。

ブログ更新、春休みごろから復活するかもしれない。。しないかもしれない。。。

(とりあえず今は前向き。あと三分くらいはこの前向きも続きそう。)

 

お粗末!