幸せは副産物だといい
何の拍子かわからないのだけど、ふとこんな言葉が下りてきた。
我ながらいい言葉っぽい響きを持っていると思う。
努力が必ずしも報われるもんじゃないなんてことは、今時小学生でも知ってる。
それなのに”幸せ”を最終目標にして頑張っているなんて、報われなかったときは悲劇だ。結構そういうカッコいい人は多いけど。
案外、自分にとっては大した努力じゃないのにたまたま他の人よりも良くできることで、成果をとても評価されたりしたときは十分幸せだったりする。
もちろん例外もたくさんある。「本当はもっとできたハズなのに」と思っていることを褒められると辛いし、最終目標だけを一心に頑張ってそれが報われたら、それは間違いのない幸せだ。
この言葉自体が何かいいもののように感じているのは、僕が今までに何か最終目標だけを心の支えに頑張ってきたということが無いという証なのかもしれないし、今、最低限の幸せは担保されているからこその甘えなのかもしれない。
でも、結果だけからしか幸せを得られない人生に僕は耐えられる気がしない。今の僕には、この言葉にすごく居心地の良さを感じる。
「幸せは副産物だといい」
いつか使えそうな気がする。