私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

考えた

最も正確で誠実な回答

最近、自分が能力的に即答できない機会にあうと、相手が聞いてくれそうな時間内に自分に想定できる範囲の事を言った後で、「わかりません」とか「明言できません」答えた上で、「多分こう言うこと自分ができる中で最も正確で誠実な回答です。」という言葉を…

日本語に生まれた不幸(3)

でも、こと情報社会においては、利用者数が正義の世界。日本語の立場の弱さをしっかり自覚して、謙虚に学んでいかなくてはいけない。 共感の為の悪あがきのコーナー 僕のパソコン仲間にキーボードのキー配置をオリジナルで極端に変えてしまっている人がいる…

日本語に生まれた不幸(2)

サンプルが多いということは使われる機会の多い言語ということだから需要もあるということ。日本語なんて英語や中国語に比べたらサンプルも需要もほとんどない。 AI将棋が強くなったのはAI同士の勝負でサンプルを増やしたから。しかし、この記事を書いている…

日本語に生まれた不幸

何をいまさらと言われるかもしれないが、その通り。 何故今頃こんなことを思ったかと言いますと、情報技術が言語的な格差を広げていると急に思ったから。 人生で初めて英語の長文をワードプロセッサで書く機会があったのだが、書きやすいのなんの。漢字の変…

映画館で見たい映画(3)

そんなことを考えると、ドラえもんとクレヨンしんちゃんという二作品は日本の漫画アニメの二大巨頭のような気もしているが「子供のコミュニティ主体の語り口(=ドラえもん)」、「家族というコミュニティ主体の語り口(=クレヨンしんちゃん)」という以外…

映画館で見たい映画(2)

あと、完全に僕個人の好みなのだが、明らかなチビッ子を対象とした映画なんてのも結構アリ。別に僕がロリコンというわけじゃない。クレヨンしんちゃんなんかに代表される映画がそれにあたる。ドラえもんはあまり面白くないのだけど、クレヨンしんちゃんの映…

映画館で見たい映画

映画館でわざわざ見る価値のある映画って何があるだろうか。勿論、何を映画に求めるかによって変わってくるので普遍的な正解といえるものはないだろう。 無駄に映画好きを自負しているような僕としては、近年日本で一市場を築きあげている、ドラマのテレビシ…

僕の娯楽の楽しみ方は少数派(3)

大昔の時代はむしろ楽しみ方を分かっている人間にしか楽しめない物が良いとされた時代があると聞いたことがある。出版物は上流階級の者の目にしか届かなかったような時代だ。今でも古くからある芸術の類はわかる人にのみわかるという感じが残っている気がす…

僕の娯楽の楽しみ方は少数派(2)

最近は、今までだったら面白いと思えなかったようなものでも何かしらの形の制作者の工夫を見出して面白いと思うようになってきた。でも、UDONのような面白がり方をする機会がめっきり無くなってしまったような気がする。そして、悲しいことにより大きい感動…

僕の娯楽の楽しみ方は少数派

薄々気づいていた。 きっかけはただのゲーム好きから真面目にゲームを作る職に就きたいと考えるようになってからだろうか。人を楽しませる側の工夫を一つでも多く吸収するように意識し始めたような気がする。 僕の人生ベスト映画は「UDON」これは作り手の考…

身近な人の延長に大衆はいるのか(2)

だからといって現状の需要を見ることができなくてもいいかというと決してそういうことはないとは思う。流行と呼ばれるような大衆の需要が捉えられないというのは問題だけど、ミクロの自分が所属していると自覚している規模のコミュニティの需要を捉えられる…

身近な人の延長に大衆はいるのか

身内ネタが上手い人っている。嫌な言い方をすると身内ネタだけが上手い人っている。僕もどちらかというとそういうタイプのような気がしている(実際は受けた気がしているだけで身内ネタが滑っているという可能性は十分にあるのだが)。何か人から評価される…

考えずに取り敢えず出してみる←これができない(3)

ネット上に何かしらの自分の息のかかった言葉がたゆたうと思うと、どうしても構えてしまうのだ。具体的にいうと、自分のノートパソコンのデスクトップ上にポストイットアプリを置いといて、そのうちの一つに「ツイート」というタイトルのポストイットを用意…

考えずに取り敢えず出してみる←これができない(2)

僕の周りにはリツイートで得られる知見が前提でプログラミングを組み始める兵がそれなりの数いる。これは正しいことだと思う。情報社会で人々がつながりやすくなっているのだから、助けを求めることができるなら素直に助けを乞うべきだ。自分がダメと思った…

考えずに取り敢えず出してみる←これができない

最近の悩み。癖として、何かアイディアをひらめいたときに自分なりに可否を考えてダメだった場合に表に出さずに没にしてしまう。 おかげで何か提案をした際はかなりの自信をもって発言できているし、自分のアイディアが採用された時は何かしらの成果を必ず出…

船頭多くして船山登る(3)

そもそも金属としての利用価値が高いのは銀だ。金に負けずとも劣らない粘性と展性を持ち、価格も金と比較して安く、金や銅と同様の殺菌作用も持つ。王水にしか溶けず加工が難しい金や、錆びると毒性を帯びる銅とは違い、銀は人間に安全で優しい。金よりも銀…

船頭多くして船山登る(2)

慣用句というのはそのフレーズ自体に意味ができてしまって、そのフレーズを形成する文章の意味するところを実際には無視していることが多い。冷静に見つめなおせばおかしなことを言っているなんてことはざらにあるし、そのおかしなことを何の疑いもなく世の…

船頭多くして船山登る

リーダーが複数人いると思いどうりに事が運ばないよ。という意味のことわざ。納得はできる。が、恐らくい後半の「船山登る」の部分は皮肉だろう。出なければこのことわざは成立しない。だって… 船で山に登れるなら迷わない事よりすごくない? と思うからだ。…

幸せなら手をたたこう(2)

それ自体は拍手の何か高貴さみたいなものを表してるような気がして少し嬉しいのだけど、拍手の機会自体が減少しているというのは寂しいことこの上ない事実だ。 だからこそというのはおかしいのだが、たまにとても良い映画に出会って映画館内で拍手が起きるこ…

幸せなら手をたたこう

今気づいた。僕は拍手が好きだ。留学の時に帰りの飛行機内で着陸と同時に拍手をしかけたのだが、周りにその動きが無かったのでやめてしまった。今でも拍手するべきだったと少し悔やんでいる。飛行機の着陸に対して拍手をしなくなってしまったのはいつからだ…

どちらを信用できるか(2)

笑い話をすると、僕の友人が険しい顔をしながら、「最悪、○○するしかないよね」といった○○に当てはまる部分がほぼ僕の日常的な行動を指しているなんてことがあった。彼に悪気はない。 さて、この理論、実はちょっとした矛盾を抱えているということに今日気が…

どちらを信用できるか

嘘は淫らにつくものではない。 流石にこの歳になると泥棒への一歩だからという理由では納得できなくなっているが(納得できないというのはそれはそれで幼稚だけど)、一応嘘はあまりつかない方が良いというのは納得している。僕自信において嘘をついちゃいけ…

娯楽と教養の違い(2)

ストーリーというものは、本にも音楽にも映画にも漫画にもゲームにもある。つまりコンテンツの形式に関わらず存在する尺度だから、異なる種類のコンテンツの完成度を比較するときの指標になると思ったのだ。ただ、小島秀夫作品のように深いストーリーをもつ…

娯楽と教養の違い

娯楽と教養の境目はどこにあるのだろう。教科書に載っているかどうか?世間に浸透しているかどうか?学問として成立しているかどうか?歴史が長いかどうか?常識として取り扱えるかどうか? 色々思い浮かびはするのだけど、どれも信憑性に欠けるかパッとしな…

小島秀夫の語り口(6)

思えば、(現実にはありもしない)ナノマシンで人間を管理してるだとか、初期の小島作品にもかなり強引な世界観の設定はあったが、今ほど強引な気はしなかった。それらは一応歴史のifの範囲で納められていたように感じる。むしろ現実の世界の話にする為にウ…

小島秀夫の語り口(5)

それぞれの話の世界観をざっくりと解説すると、 「アンダー・ザ・ドーム」町を囲むように謎のドームができました。さてどうしよう「ウォーキング・デッド」世界中がゾンビだらけになりました。さてどうしよう「11/22/63」あなたはタイムスリップができます。…

小島秀夫の語り口(4)

近年(といってもサービス開始からかなりたったが)流行のネットフリックス、AmazonPrimeVideo、Huluといった動画配信サービスは、ドラマをワンクール分一気に公開したりする。ゲームの容量が時代の進歩と共に増加し、映画というよりもドラマのワンクールと…

小島秀夫の語り口(3)

ここで、ようやく冒頭の議題に戻ってくるわけだが、ことストーリーテリングにおいて、果たして小島秀夫作品は映画的なのか。 ここからどんどんオタクが加速する。 僕個人の見解として、小島秀夫作品の語り口が映画的だったのはMGS4までである。 MGS4までの…

幸せは副産物だといい

何の拍子かわからないのだけど、ふとこんな言葉が下りてきた。我ながらいい言葉っぽい響きを持っていると思う。努力が必ずしも報われるもんじゃないなんてことは、今時小学生でも知ってる。 それなのに”幸せ”を最終目標にして頑張っているなんて、報われなか…

悪口は誰の物か。

どこかの音楽家が言っていた。 一度演奏したり、歌ったりしたものは、それはもう聴いた人の物なんだ わざわざ、はいた言葉が飲み込めないという考えが存在するということは、飲み込みたくなるときがあるということなんだと思う。 悪口を言われた時を考えてみ…