私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

僕の娯楽の楽しみ方は少数派(3)

大昔の時代はむしろ楽しみ方を分かっている人間にしか楽しめない物が良いとされた時代があると聞いたことがある。出版物は上流階級の者の目にしか届かなかったような時代だ。今でも古くからある芸術の類はわかる人にのみわかるという感じが残っている気がする。絵画とかクラシック音楽とか古典的な書物とか。別に僕が太古のインテリ的な物の見方ができるというわけではないから、引き合いに出すのはおかしいか。

 

僕の敬愛する「ドラえもん」作者の藤子不二雄は子供のころの思い出や妄想したことを取っておくことがドラえもんの数々のアイディアの源になっているという言葉を残している。かの藤子不二雄ですら幼少期の価値観を思い出すということには苦労していたということになるのではないだろうか。

とにかく、作り手を意識しないで見れていた時の見方ができなくなっている。あまり良くないことだ。今、過去の感性を呼び起こすものは僕に幾つあるだろう。ルロイアンダーソンの音楽、トムとジェリー、声優が変わる前のアニメのドラえもんゲームキューブ…こんな娯楽以外にもいっぱいあったはずだ。保育園の景色とか、使えなくなった家具とか、下宿生活で最近食べなくなってしまった母の料理とか。たくさん忘れている気がする。