私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

僕の娯楽の楽しみ方は少数派(2)

 

最近は、今までだったら面白いと思えなかったようなものでも何かしらの形の制作者の工夫を見出して面白いと思うようになってきた。でも、UDONのような面白がり方をする機会がめっきり無くなってしまったような気がする。そして、悲しいことにより大きい感動を得られるのは受け手側の楽しみ方のような気がしている。

 

世の中の多くの人は作り手の事情なんか考えずにそのもの自体を楽しんでいる。理屈や事情を分からないと楽しめない物は極力作っちゃいけない。少なくとも時代はそういうものを良しとしていない。説教臭い作家性などはあまり表に出させず、マーケティングで制作物の内容を決め、需要から逆算して作られる。おかげでたまにゲーム等で「最近の流行だから」という以上の理由が見受けられないデザインに出会ってしまうとがっかりすることがある。インディーとされるような規模の小さい作品の方がそういったものは少なくて、遊びにおいて最適なデザインになっている場合が多い。こういったある種製作者の怠慢のようなものに気づいてしまうようになってしまった(勿論、多くの人が慣れているのは大きなアドバンテージなのだがそれとは別の場面で)。