私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

幸せなら手をたたこう

今気づいた。僕は拍手が好きだ。

留学の時に帰りの飛行機内で着陸と同時に拍手をしかけたのだが、周りにその動きが無かったのでやめてしまった。今でも拍手するべきだったと少し悔やんでいる。飛行機の着陸に対して拍手をしなくなってしまったのはいつからだろう?僕が人生で初めて飛行機に乗った5歳のころ(親に恵まれた)は、飛行機の着陸と同時に機長に感謝と労を称えて拍手した。親にも「こうするものなんだ」と教わった。



拍手は素晴らしい。万国共通で通じる上に、無料で気持ちを表現できる。多くの場合、同じ対象を共に称える仲間がいる。何より少し楽しい。おしゃべりや音楽が好きな僕としては、音を出すという行為がそれだけで何かポジティブな意味を持つ。小さいとき、食器を鳴らして怒られた。でも、あのとき感じた面白さ、うれしさは無垢だったころの僕にも通じる何か本質的な意味をもつ行為だったに違いない。
クラシック音楽のコンサート、落語、ロケットの打ち上げ、何かしらのスピーチ、大爆笑をしたとき。僕が愛してきたものは拍手で称えるものの割合が多い。例外はゲームとか映画(例外もあるけど)とか。

デジタル化が進むにつれて拍手の機会はグンと減っているのが現実かもしれない。本や漫画に対しても拍手ってしないな…拍手は人に対してするものだし、一人ぼっちでパソコンやスマホに対してするものでは無いからだろう。