私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

身近な人の延長に大衆はいるのか

身内ネタが上手い人っている。嫌な言い方をすると身内ネタだけが上手い人っている。

僕もどちらかというとそういうタイプのような気がしている(実際は受けた気がしているだけで身内ネタが滑っているという可能性は十分にあるのだが)。

何か人から評価されることを想定して物を作る時、身近な周りの人にウケるように作る時ともっと不特定多数の大衆に向けて作る時で作り方の違う自分がいることに気づく。これは正しいことなのだろうか。芸術は人にこびてはいけないなんて言葉は聞いたことがあるけど、ゲームを芸術と同等の物と捉えている僕は人にウケなさすぎるゲームはゲームとして失格だと思っている。これは間違っているのだろうか。特定の作品として”笑い”というものを例に挙げるとすると、大衆的な笑いと身内的な笑いを両立させる笑いとして、時事ネタというものがある気がする。その時にしか笑えないけど、恒久的な笑いには出来ない爆発力を発揮することが多い、”その時”というコミュニティ内でのみ受け入れられる笑いが時事ネタだからだ。別に僕が時事ネタが特別うまいというわけでもないけど。

人が欲しい物をそのままの形で提供できたらある程度の需要は必ず見込めるけど、それは大ヒットにはならない。本当に欲しているものは案外自覚を伴わない物だから。