私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

悪口は誰の物か。

どこかの音楽家が言っていた。
一度演奏したり、歌ったりしたものは、それはもう聴いた人の物なんだ
わざわざ、はいた言葉が飲み込めないという考えが存在するということは、飲み込みたくなるときがあるということなんだと思う。


悪口を言われた時を考えてみる。


悪口は言われた瞬間から僕のものということになる。
僕の持論ではあるが悪口は意味がつらいから嫌なんじゃない。嫌なやつから言われて見下されたような気がするから嫌なんだ。もしくは好かれたい人から悪口を言われることによって好かれていないことを確認してしまうから嫌なんだ。

例えば遠い存在だと思っていた好かれたいと思うことすらおこがましいくらいの尊敬してる人から言われたは言葉は悪口でも嬉しいもんだ。気にかけてくれてるという証拠だし、危ない思想だけど尊敬している人の言葉は自分に都合のよい解釈にもしやすい。

大勢の前で「悪口を言われたー!!」と言うことで、悪口を言った人とその人の意図を含めて笑いが起きる人間になりたい。
笑いのために言われたくない悪口を言われるようになりたい訳じゃない。気軽に悪口を言われても周りに笑いが起こるような人柄でいたい。

勿論、真に受けるべき悪口とそうでない悪口はキチンとわりふらないといけないけど。
それに、言われて辛い気持ちを溜め込むことはしないようにしないといけないけど。