私の「面白い」

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読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

日本語に生まれた不幸(2)

サンプルが多いということは使われる機会の多い言語ということだから需要もあるということ。日本語なんて英語や中国語に比べたらサンプルも需要もほとんどない。

AI将棋が強くなったのはAI同士の勝負でサンプルを増やしたから。しかし、この記事を書いている現時点では言語においてはこの手段は用いることができない。というのも、言語を機械にとって最適化してしまい、人間になじめない言語を完成させてしてしまうという現象が起こるからだ。つまり、多くのサンプルを用意できる言語和者数の多い言語がそのまま発展のしやすさに直結するということになる。

 

今後日本の人口は減少する一方。日本語でコンピュータと対話することの価値なんてどんどん落ちていくに違いない。

 

日本語が言語として英語に劣っているとは思わない(まぁ、厳密には劣っているから言語話者数の違いに現れるのだろうケド、それはまた別の話。)。日本語独特の表現技法や、日本特有の気候や日本文化特有の物の捉え方なんかは日本語が最も適しているに違いない。それに変に全世界にの人に使われるようになってしまった英語は、もともと英語が持っていた英語圏独自の文化的な表現が薄くなってしまっている…なんてことはきっとあるはずだ。