私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

考えずに取り敢えず出してみる←これができない(3)

ネット上に何かしらの自分の息のかかった言葉がたゆたうと思うと、どうしても構えてしまうのだ。具体的にいうと、自分のノートパソコンのデスクトップ上にポストイットアプリを置いといて、そのうちの一つに「ツイート」というタイトルのポストイットを用意して、そこにふと思ったことを一言で書き込み、そして一晩以上の時間寝かしてから再びそのポストイットを見て「んーと…よし、今はこれの気分だ」ってな具合で選んでからその一言をコピペしてTwitterに投稿するという…

もはや”つぶやき”ではないことは明白だ。推敲している。そして推敲した結果にしてはあまりにお粗末なつぶやきが並ぶという…
なぜか駄洒落ばっかりという如何とも致し難い有様でして…


周りにいる、普通の会話よりもTwitterでのつぶやきの方が文字数が多いのではないか?と思ってしまうような連中につぶやきのやり方を聞いてみると口をそろえて「つぶやき”方”なんて考えたことも無い」とのたまいやがる。Twitterはいろいろな使い方があってしかるべきだとか使い方の正解なんてなくて自由でいいとかほざくくせに、僕の現状を伝えると必ず苦笑と共にそれは間違いだという旨の言葉が返ってくる。(オブラートでの包み加減は場合によって様々だが、こういう場合は気を使われているので、オブラートが厚い方が僕を気づ付ける。)

何となくTwitterに関しては彼らが正しいということはわかる。が、そのやり方がわからない。いつか解決して、この記事を笑って読めるようになりたい。