私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

考えずに取り敢えず出してみる←これができない(2)

僕の周りにはリツイートで得られる知見が前提でプログラミングを組み始める兵がそれなりの数いる。これは正しいことだと思う。
情報社会で人々がつながりやすくなっているのだから、助けを求めることができるなら素直に助けを乞うべきだ。自分がダメと思っただけでその問題が永遠に解決されない問題ということもあるまいに。思い上がりも甚だしい。自分が行き詰るということは、先人たちも同じような問題に立ち向かっている可能性は大いにある。その解決の手段として様々な形の”勉強”というものがあるわけで…ただ、それも最新の事項に関してはフォローされてないことが多い。他にも個人的なあまりにミクロな課題だったりするとなかなか「調べる」という行為で答えが出ないときもある。気軽に人に「訊く」というのは素晴らしいことだ。それがTwitterでは可能だし、Twitterに関わらずある程度個人ではだめだと思っていることもとりあえず表に出してみて、周りの人の知恵を借りるという行為はできてしかるべきだ。

 


ということまでは何となく感じているのだけど、僕に限ってはそれ以前の問題で。というのもなかなか”つぶやく”というのがどうも難しい。僕のツイッターを一言で表すと”酷いありさま”である。