船頭多くして船山登る
リーダーが複数人いると思いどうりに事が運ばないよ。という意味のことわざ。
納得はできる。が、恐らくい後半の「船山登る」の部分は皮肉だろう。出なければこのことわざは成立しない。だって…
船で山に登れるなら迷わない事よりすごくない?
と思うからだ。迷わず航路を進むという予定調和は大事だし、素晴らしいけど、いつでもそればっかりでは世の中面白くない。沈まないだけの実力があるのなら、山に登るというのはむしろ面白いとは捉えられないか。
船頭の複数名いる船がてんやわんやの大喧嘩、気づけば山の山頂からの景色を船の中から見るという常人にはなかなかできない経験をしてしまう。実際にそんなことがあったら、それはそれで大きな達成感を味わえるに違いない。「色々あったけど…」なんて言いながら船員たちは仲直りし、自分たちのした偉業を称えあう。いずれ山の上の船はその偉業をたたえるモニュメントと化し、観光地化が進み、、、、、、なんて物語があったらこのことわざの意味するところは必ず変わってくるだろう。
我ながらひねくれているとは思うのだが、たまにこういう事を思う。昔からの慣用句にケチを思い付くのだ。
続く