私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

デジタルというコンテンツ形式が”締め切りと”という概念に及ぼす心理的影響

 どの業界にも締め切りというものは存在する。ただ、情報社会の発展に伴いその在り方が変わってきているのではないかと思うのだ。

 とある新作のゲームを手にする機会があった。発売前からずっと楽しみで、ソフトとハードの両方を発売当日に入手、ハードにソフトを挿入。電源を入れて初めに出てきた文字が「本体の更新が必要です。」。通信環境によるところも大きいが、その時間は約4時間。4時間経過後、ようやく遊べると思い、ソフトを開くと「更新データをダウンロードします」とさらに2時間。ソフトハードともに発売されたてのホヤホヤであるにもかかわらずだ。

 

ここで僕の脳に浮かぶ文字は

「それってまだ完成したって言えない状況なんじゃねぇの?!」

である。

 

 

デジタル業界にはよくある現象なので、そういうものなのだと飲み込む人も多かろうが、例えば新聞とかで始めの数文字だけ書いてあとはURLを張り付けて

「続きはWebで!!」みたいなことにしたら、多分その記事を書いた記者などは、原稿を落としたという判断を下されるに違いない。

 

どう言いつくろっても、

数か月待たされた(開発開始のアナウンスから含めたら5年)上での、想定外のプラス6時間が気に食わないって言い訳にしかならないんだけど。

 

 

 

とある会紙から本ページにおこしの読者様へ。

ここに来るための仕掛けに10時間。ここでの執筆文字数約500文字。そしてさらにこの記事の前に会誌に本当は載せたかったけど、文字数の都合上断念した記事約3000文字。それだけの労力が読者の皆様の体験の為に費やされている。(没の方の記事は「メタメタな話」として少し編集したうえで当ブログに掲載されている。会誌を発行している組織を僕の観点から描いたものだ。)

「生産性の無さこそを楽しめてこそのギークである」

という先輩の言葉を噛みしめるも。当方は全然納得がいかない。まだまだギークへの道険し。

なお、このアイディアが「会誌の締め切りに無理に間に合わせるための逃げなんじゃねぇの?」とお思いの読者様が居たらそれは間違いだ。

この記事は締め切りを過ぎた上で提出している。発行担当の先輩、本当にごめんなさい。