私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

人生のポテンシャル(2)

数字というのは不思議だ。正確この上ない一つの指標が数字であるのにもかかわらず、言葉のニュアンスや受け手の価値観で意味が大きく違ってくる。この場合、恐らく「半分」という言葉が不正確な数値であることを承知で演出として機能している。と、そんな具合だろう。

僕の父はチョコレートの類やチョコレートの味付けが嫌いだ。
だからと言って父の人生全ての内の半分が無駄になっているとは思えない。が、父の「”スイーツ人生”は半分ぐらい損している」とは数値的にもいくらか妥当性を持って言えるような気がする。人生全ての価値において、スイーツによって与えられる価値がどれほどの割合を占めるのかは人によって違うから、「”スイーツ人生”の半分を損している」という言葉がどれほどの意味を持つのかは人によって違うものになってしまうわけではあるのだけれど。
数値的に正しい表現に近づけると、より個人差が大きくなってしまう。少し不思議。

この不思議という感覚は、「一人に与えられる人生の価値が全人類同じ」という既成概念によるものだから、この記事の内容自体も不確かなものであるわけだ。

 

 

続く