私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

人を殺す手段

保育園のころに初めてハサミを持たせてもらった時の言葉。

人の成長を図る手段として、一つの正解だと僕は思う。

 

 

今、自分にはいくつの人を殺す手段があるだろう。

 

 

4歳の時は危ないからという理由でハサミも持たせてもらえなかったことが何度もあったような気がする。小学校低学年でカッターナイフとカッター盤(工作の時の机を気づ付けない為の下敷き)を使わせてもらえた。高学年で、マッチとアルコールランプ、包丁の使い方を覚えた。大きな自転車を買ってもらった。いじめの存在を肌で感じた。中学の時、ガスバーナーを使った。先生に腕力を買われて、力仕事を手伝った。高校の時、スマートフォンを買ってもらった。大学に通うようになってから、車の免許を取った。タバコを吸える歳になった、お酒を友達に勧められる歳になった。

 

人を殺す手段になりうるものを一体いくつ与えられていているんだろう。社会に認められることとは、ある意味で、責任を負うことを許されること。自分の手の上にあるリスクをたまに意識してぞっとして、肝に銘じて、そしてちゃんと生きていこうと思うときがある。