私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

このあいだテレビで見た餃子

強烈な教育とは恐ろしい。

僕にとってこの世で一番おいしいのは母の作った焼き餃子。こういった、ある種絶対的なものがあるとこれ以上のものはないと勝手に思い込んでしまうものだ。

ある日、テレビで餃子の作り方のレクチャーをしていた。その類のテレビを見るたびに、僕は「どうせ、なんだかんだ言って母の餃子にかなうもんはないだろうと」となぜか見下してしまう。
その数日後、母が餃子を作ってくれる機会があった。場合にもよるが、母の餃子はホットプレートで食卓の真ん中で作られる。毎度の手順で餃子を焼くのを手伝っていると、「ちょっと待った」と母が待ったをかける。餃子の場においては母は神同然なので、疑問に思いつつも手を止める。
「いやぁ~、この間テレビで美味しい餃子の焼き方っていうのをやっててね」と、いつもの手順にひと手間加える母。なんとそのやり方は僕の見下していたテレビ番組でやっていた方法そのもの。
「そんな異教徒のやり方に汚されてよろしいのですか教祖様!!」と心では思いつつ、まぁ、お上のなさることなので黙って見守る。当然のように人生ベスト餃子を超える物が出てくる。

以下、餃子にかかわらないこと。
例え間違っていたとしても師匠のいうことだからと深く考えずに受け入れてしまうとそれ以上のものは作り出せない。それはきっと教えを乞うものの怠慢だ。もちろん師匠の前では言われた通りにするべきなのだが、そのうえで自分なりの試行錯誤を行う心を忘れないようにしないと。