原爆を作れた人
原爆が使われた。これは事実であり、忘れてはいけないことであり、まぎれもない”負”の事実である。
小学校の時、定年退職する年だった先生がアインシュタインに憧れてた僕に
「すごい人なのは君の知っているとうりだけど、原爆をつくった人なんだよ」
といった。
当時、少しは弁明したかもしれない。アインシュタインは原爆の使用には断固として反対の姿勢を取っていたのは事実だ。
でも自分がフォン・ノイマン、アインシュタイン、オッペンハイマーのような立場だったらどうだろうとまでは考えていなかった気がする。
時代からして恐ろしい使われ方をされるだろう。でも「人類でだれも成し遂げられなったこと」を成し遂げることが自分にはできる。今後電力が必要になる時代の新たな発電の手段として提案することもできる。後世に自分の名前を残すことができる。研究の副産物のコンピューターは世界を変えられる。
誘惑をあげだしたらきりがない。
科学技術の歴史は戦争の歴史。いかれた時代に、自分は正しい判断ができるだろうか。絶対に使ってはいけない。でも世界に一人だけ、自分だけが作れる物があるとしたら。使わなければいいなんて言い訳は通用するのだろうか。
人に使ってみたかったかどうは別として、作ってみたかったという希望は絶対あっただろうなと思ってしまう。今の僕は。
共感の為の悪あがきのコーナー
いずれも原爆実現に大きく貢献した科学者。人類に対しても大きく貢献している。偉大という言葉を当てはめることもできる。でも、彼らをマッドサイエンティストと呼ぶ人々の気持ちを忘れてはいけないんだとも思う。