私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

言葉を作る一つ偉大さと一つ恐ろしさと(2)

続いて言葉を作ることの恐ろしさについて。
こちらはうまい例えが思いつかないのだが、例えば「自然」という言葉を考えてみてほしい。人工という言葉と自然という言葉はおそらくできたのは同時期だ。もちろん自然と呼ばれるものより人工のもののほうが存在の歴史は薄い。ただ、自然は自然でないもの、つまり人工のものが存在し始めて初めて分類、認識されたはずだ。

 

人だって太古は自然の一部だったはず。洞穴をそのまま住処にしたり、調理などはせずそのままあるものを口にしたり、排泄物はわかりやすく土に還元されていたはずだ。それが人工または自然という言葉のおかげで人間はある意味自然から切り離されてしまった、と考えることができるのではないだろうか?

 

今でいう自然は昔は自分であり世界であったはずなのに、自然という言葉を知ることで自然以上でも以下でもなくなる。新たな言葉のおかげで無くなった、自然と切り離される前の人間が感じていた自然に対する感情はおそらくもう二度と人類に思い返されないものになってしまったのだろうと思う。
言葉を作ることで無くなってしまうものも少なからずあるはずなんだ。

戦争中、多くの場合統治下にある国は統治国の言語で教育を行うようになる。統治をしやすくするという意味はもちろんそうだが、敗戦国の文化を否定するという意味でも残酷なほど有効なのだろう。

 

続く?