私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

映画館で見たい映画(3)

そんなことを考えると、ドラえもんクレヨンしんちゃんという二作品は日本の漫画アニメの二大巨頭のような気もしているが「子供のコミュニティ主体の語り口(=ドラえもん)」、「家族というコミュニティ主体の語り口(=クレヨンしんちゃん)」という以外にも対極的な構造を持つことに気づかされたりする。

下ネタというのは不思議で、なんでチビッ子がこれで面白いんだ、なんでチビッ子が知っているんだとも思うような物も成立したりする。ドリフの加藤茶の「ちょっとだけよ」なんてのはその代表かつ頂点だろう。ちょっとだけよのBGMであるラテン音楽の「タブー」という曲は単体で聞けばいいに曲に違いないのに、日本人に生まれてしまったおかげでピンクな曲にしか聞こえない。本物のストリップを見た経験も興味もない僕としてはストリップ=加藤茶のギャグのアレという知識しかないのだから、冷静に考えればとんでもなくおかしな話だ。

最後に!!クレヨンしんちゃんが”ぞうさん”をやらなくなったのは絶対改悪だ!!!とそう叫びたい。ぞうさんの無いクレヨンしんちゃんはチキンライスの上に旗のたっていないお子様ランチに等しい。まったくもって遺憾である。

映画館で見たい映画(2)

あと、完全に僕個人の好みなのだが、明らかなチビッ子を対象とした映画なんてのも結構アリ。別に僕がロリコンというわけじゃない。クレヨンしんちゃんなんかに代表される映画がそれにあたる。ドラえもんはあまり面白くないのだけど、クレヨンしんちゃんの映画作品は子供にせびられて無理やり連れてこられたであろうお父さん方にもちゃんと楽しめるように設計されているものが多い。案外、自分が面白いと思う部分とチビッ子がゲラゲラ笑っているところをくらべるというのが面白いのだ。自分の価値観が着実におじさんに近づいているようで悲しくもあるのだけれど、作り手の工夫になるほどと思わされること必至である。


スマホの小さい画面に自分のお気に入りの本、音楽、マンガ、ゲーム、そして映画を入れて持ち歩けるこのご時世、わざわざ映画館に足を運ぶ人は減っているのは違いない。

でも、きっとゼロにはならない。それは足を運ぶに値する価値があるからに違いない。

 

共感の為の悪あがきのコーナー

クレヨンしんちゃんはもともと大人向けの下ネタ満載の漫画だ。そういったところも大人が楽しめるように設計しやすい理由なのかもしれない。

映画館で見たい映画

映画館でわざわざ見る価値のある映画って何があるだろうか。

勿論、何を映画に求めるかによって変わってくるので普遍的な正解といえるものはないだろう。
無駄に映画好きを自負しているような僕としては、近年日本で一市場を築きあげている、ドラマのテレビシリーズのスペシャルを映画館で上映してみましたなんてのは魅力を感じないことが多い。需要があるのだから無下にしちゃいかんのだけど。あと、正解としてつまらないけど、やっぱり話題や流行に乗っかる事を楽しむなら、映画館に直接出向くのは映画文化に対する礼儀だろう。



べたなところでいえばゴジラなんてのが代表的な一つの正解だろう。怪獣。でかい化け物が暴れまわっているところを楽しむならデカいスクリーンに限る。単純だ。そして真理だ。
意外に思う人も多いかもしれないが、コメディも映画館で見るべき映画の代表だ。良いコメディならちゃんと観客から笑いが起こる。海外のホームコメディにはウケのポイントでどこからともなく笑い声が起こるなんて言う演出があるが、あれの天然ものに出会えるのは映画館の何よりの強みだろう。「年の初めは家族で寅さんを見に行く」なんて時代が終わってから久しい。
あとは、細かい演出の話になってしまうが、キチンと音が設計されている映画や良い景色の映画、ビジュアル的な意味での細かい演出がなされている映画なんかが正解にあたる。

わかってらっしゃる!!(3)

まず、前述のとうりサンリオの得意どころであるはずの無光沢の瞳をサングラスでばっさり捨てる度胸の座りっぷりが恐ろしい!そしてドラえもんもチャームポイントでもあろうお空に昇った三日月がごとくあの大口をばっさりカットするという豪胆さ!それに短足が悩みであるところのドラえもんに足を組ませちゃうっていう…もう、ボキャブラリーが追い付かない!!!!!こんなの失神ものですよ!

冷静に考えればドラえもんというのは「カッコつける」ということを覚えだした小学生高学年の物語である。のび太しずちゃんとの結婚が最終的な目標というある種の性的な欲が根幹をなしているわけだ。可愛い子ぶって顔を赤らめ、照れるドラえもんもそれはそれでカワイイかもしれない。ただここハワイに至ってはドラえもんですら男の子のカッコつけたい欲に溺れてしまうというこのコンセプトが全て、可愛さ的な意味においても、プラスに働いてる!!!小学生なのにサングラスをかけ、キリリと口を閉じ、足なんか組んじゃうっていう!!そして恐ろしいのは、これらをさせても"ドラえもん"という存在が成立すると見極めるデザイン力とリスペクト精神!!!!

ドラえもんの本質、ハワイ特有の浮わついた空気、カッコよさ、可愛さ。これら全てを内包し、破綻させない。

「幸せ」とか、「完璧」と呼ばれるものってこういう形をしてるんだと思う。

わかってらっしゃる!!(2)

極めつけは目だ。左右の目がくっついていて中に小さな瞳を描く。同系統のけろけろけろっぴでのノウハウがここにいかされていると言える。ここで注目すべきは瞳の輝きだ。声優変更時のアニメの浅はかなデザイン変更では(声優が替わってもうすぐ15年というのに未だにアンチ新体制という愚かな私を笑って頂ければ幸いである)瞳の輝きの白い部分の割合が増えている。結論からすれば安直だ。僕が必要以上に評価を下げているというのは否めないが、その点、天下のサンリオはストレートに黒だけで塗りつぶす。原作の漫画にも若干の輝きがあったことを考えると、この改編自体にはサンリオの相当の自信を感じられる。もうこの時点で僕はメロメロである。

 

 

が、

一流とは更にその上を行くのである。

 

是非、「ハワイ限定 ドラえもん」でググってみてほしい。
サーフボードの前でミニドラと並んでサングラスをかけているドラえもん、、、もう、ちょっとすごくないッスカ?!?ってなわけで。

日焼けしたドラえもんも、アロハ柄のドラえもんも良いのは間違いない。しかしこのグラサンドラ(勝手に名付けた)のインパクトの前では正直かすむ。

わかってらっしゃる!!

サンリオのドラえもんってすごくないっすか?!って話

 

この日本というお国にはドラえもんという存在の市場価値に乗っかろうとして撃沈していった数多くのコラボ商品という死体があるとです。その中で、ほぼ唯一長生きして成功している例として、サンリオとコラボしたドラえもんがあるのではと思うわけです。

是非、ご存知ない方はいちどググってみてほしい。さすがは「かわいい」という言葉を世界に知らしめたサンリオですよ!かのサンリオですよ!!

 

まず、よくあるコラボ商品にあるような、ドラえもんの基本的なデザインに手を加えるようなことはしていない。浅はかなデザインならばドラえもんにキティーちゃんのリボンを付けさせるなり、ポムポムプリンの被り物をかぶらせたりしかねないところを、サンリオはドラえもんの持つ丸を基調としたデザインのポテンシャルをよく理解している。その証拠にドラえもんの特徴の一つでもある大口をあえて閉じている(実はドラえもんは大口を開けるときに口の端が髭状になり、顔の白丸をゆがませてしまうのだ)。他にも鈴の比率を大きくしたり、頭を拡大して二頭身に磨きをかけたり、下半身の青の部分比率を上げてポケット周りの白色の丸部分の形を強調するような調整が施されている。

ただ、円形のデザイン以外にもサンリオのデザイン力が現れている部分は多岐に及ぶ。