私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

どこでもドアの作り方

ドラえもんを実現させることが夢の僕が挫折した話。

ご存知どこでもドアといえば、日本で最も有名なテレポート装置。しかもどこぞの映画と違って、ハエと一緒に扉をくぐってもハエ人間になったりしない。画期的である。
小学校の時、ドラえもん実現のための方法を模索し、小学校の図書館の本を読みあさっていた僕には二つの方法が思い浮かんだ。情けないことにそのアイディアの数は現在も変わっていない。



一つ、量子力学からのアプローチ
重ね合わせやら、速度と位置は同時にわからないやら、いまいち実感の湧かない学問。
ただ、気になる事は粒子の位置の値を計算で出した際に、設定した範囲外の値が出ることがあるということ。もし、体を構成する粒子が並び方を一切変えずに場所をパッと変えたら?その場所を選べさえすればどこでもドアはできるのだろう。確率的にいうとそれが起こるのはきっと数兆年、数京年に一回。それじゃすまないかもしれない。流石にそれだとおじいさんになっちゃうしなぁ。後は神様に喧嘩売って確率を操るサイコロに細工するとかって話になってくるんだろう。

二つ、同じ人間を作るというアプローチ。
人間を形成するものを体と記憶と定義しよう。記憶の作られる原理もあまり詳しくは知らないが脳のシナプスの繋がり方云々の話のはず。扉の出口となるところで、その人の記憶を司る体の部分を含め完全に再現して、扉を潜る側の人を殺して跡形もなく消し去ってしまえばあら不思議。回りの世界にとっては移動した瞬間移動したのと何ら同じ事。神様に喧嘩売るよりは現実的だけど、倫理的に考えたら多分マッドサイエンティストまっしぐらだよなぁ。