私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

人(型)を撃つのは楽しい(2)

「人の形をしたもの」を撃つのはどうしても楽しい。

 

なぜか。

 

ゲームの本質的な面白さの一つにリスク管理がある。リターン、スコアを得るにはそれ相応のリスクを負わなければならない。逆に、リスクを乗り越えた時こそ快感を得られる。この考え方でゲームの面白さの多くは(すべてではない)語れるはず。

 

そこで撃つというゲームの行為を考えてみる。

 

撃たれない状況、相手から自分が見えない状況、はリスクが低い状況といえる。でも、相手から自分が見えないということは、一直線で自分と相手を結べない、自分が相手を撃つこともできないということになる。つまり、低リスク=低リターンが成り立っているのだ。逆に、相手を撃てる状況=自分が撃たれる状況でもある。高リスク=高リターンが成り立っている。つまり「ピストルごっこ」はそれだけで、もう充分ゲーム的に面白いといえるのだ。

 

そして本題、的が人の形である理由。

それは、五体の機能をみんなで共通認識していること。

腕を撃てば、武器を使えなくなる。足を撃てば移動が制限される。心臓や頭といった、いわゆる的の中心ともいえる外しやすいところ(外しやすい=高リスク)に命中させれば、相手の機能を停止させることができる。

これはプレーヤーが人間である限り、ゲームのルール説明を必要とせず認識できている。だから的を人の形にするとわかりやすいゲームにしやすい。

他にも人の形をしていれば、感情移入しやすいという、演出的メリットもある。

それにそもそも、人は歴史という場で命がけで人の形をした「人」を撃つことのノウハウを溜めてきている。先人たちの工夫をある種くみ取りやすいリスク管理の遊びこそが「ピストルごっこ」なのだ。

 

続く