人(型)を撃つのは楽しい
エンターテイメントの暴力性が教育上悪影響なんて話は遊びがこの世に生まれてからずっとある。現実でできないことをすることである種の快感を得るのがエンターテイメントの目的とするならば、
イマヌエル・カントのいうところの「平和は人間にとって不自然な状態
である」我々人間の遊びに暴力性がつきものなのは必然だろう。
でも、だからと言って人を撃つのが楽しいなんてのは大いに間違いだ。絶対間違いだ。ゲーム好きの立場の人間として、このことは曲げてはならない。人を撃つゲームの楽しさを理解してもらえない人がいるのは当然。でも、「人を撃つことを楽しんでいる」という本質を見誤った解釈をゲームオタクたちは放っておいちゃいけない。ゲーム文化がこのまま、本質を見誤って人殺しのゲームが量産されたら、ゲーム文化の衰退だってホントにありうると思う。
オタクの叫びなので、共感してくれればもうそれだけで御の字なのだが、
人を撃つことが本質なんじゃなくて、「人の形をしたもの」を撃つのが本質なんです。
共感してもらえない人、ごめんなさい。「人の形をしたもの」を撃つのが楽しいは曲げられないんです。その理由はまた明日。
続く