私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

いいオタク、悪いオタク

オタクは生産性がない。だから嫌いだ。とは、宮崎駿の言葉。

 

オタクの僕としては、面目ない、仰るとおり、本当に申し訳ない。と、なってしまう。せめて、そういう意味に該当するようなオタクにはなりたくないと足掻いている内の一つが、このブログでもあるんだけど。

 

 

 

オタクに属する人間はどういう人だろう?まだ明確に定まっていないような気はするが、僕の基準では「常人より熱中しているものがある人」のこと。

でも、世間には「コミュニケーション能力が極端に低い上に、自分の好きなことを周りの人が知らないと機嫌を損ねたり周りを見下したりするような輩」のことを指している場合も多くある。それは、僕を含む世のオタクたちがオタクの市民権向上のための努力を怠っているからに他ならないので、大変情けないような気持ちにもなるのだが。

 

僕が言いたいのは世の中にはいいオタクと悪いオタクがあるんだよ!ということ。これもあくまで僕の基準に従っているに過ぎないのだけど、

 

少なからずオタクは世の中に最低でも一人その人自身が熱中できるだけの魅力的な世界があることをを知っている。だから、それを共有できるようにする努力はするべきだ。たとえその世界を共感してもらえないとしても、ちゃんと伝える努力さえしているならば熱意だけでも相手には伝わるはず。ネットも発展して、共感してくれる人を探す環境は一昔前に比べて格段に良くなっている。そうでありながら、すでに魅力を知っている人間同士だけでコミュニティを作り、その内輪だけで完結してしまうような人間がいるのだとしたら、それは悪いオタクだと思う。まさに生産性の無い人間といえる。

 

 

「オタク」をダメな人間を指す言葉から脱却させるようにしないと。僕よ。