私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

見えるの話

ちょっといい話。どこで仕入れたかは忘れた。


母子家庭でお母さんが視覚障碍者で全く目が見えないという親子の話。
慣れた物で普段の生活には何の支障もなく、定期的に近所のスーパーに買い物にも行く。

ある日、買い物が少し長引いてしまい日没後に二人で帰宅。息子は早々に靴を脱ぎ玄関の電気を付けようとする、

が、暗がりで足元にあった小物に気づかずくらやみでつまづく、
母「もう、ちゃんと片づけないから」
息子「お母さんは暗くても見えるからいいけどさ、僕は見えないんだからしょうがないでしょ」



実際、僕が視覚障碍者の人と会ったとき、出会った方々は僕の基準からすると物の配置を異様によく覚えていた。この現象自体は珍しいことではないのかもしれない。
この話の「見える」という言葉の使い方がとても素敵だと思った。お母さんにはまぎれもなく見えていたに違いない。



先週、友人がゴミを通学路でポイ捨てしているのを見かけてしまった。繰り返さしてはいけないと、注意しようかとも思ったのだがめんどくさかったので僕がそのごみを拾って捨てた。今日、同じところに同じようなゴミが。友人の仕業かどうかは知らないけど、明日軽く注意してみよう。
見て見ぬふりなんて贅沢な悩みだもの。