私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

馬鹿には馬鹿なものすら作れない(4)

ジョー軍のお目見えシーンの一連の流れ(インターセプタ―→マックスの顔のアップ→輸血兼鎖→ニュークス→スリット→ニュークスカー加速→ドゥーフワゴン背部のドラム(BGMでのドラムの音量増大)→ドゥーフワゴン越しの軍の全貌→再びアップでドゥーウォーリアソロ(BGMのギターソロ!!)→ギガホース)はおよそ三桁は下らない回数観ているが、未だに鳥肌が立たないことはない。

ビジュアルと機能の両立という作家性を残しつつもどう考えても馬鹿な結果にしか見えない物なのに、核には必ず”本質”と”論理的必要性”がどっしりと構えている。マッドマックスはそんなものにあふれている。記号としての宗教観や、十字架的な意味でのハンドル、合掌を意味するところのV8ポーズ、念仏や万歳的な意味のV8の掛け声、先導者を意味する隻眼、隻腕。どこをとっても抜けが無い。

世の中の作品には本質は作者のセンスで担保されていながらも論理的必要性がないために嘘っぽさが際立ってしまっていたり、逆にビジュアルやデザインが革新的なのに本質を捉えていないからいまいち盛り上がらないかしっくりこなかったり、本質に論理性をこじつける為に長々と説教臭くセリフで設定を解説したり。そんなものはいくらでもある。マッドマックスほどスマートに完全な物をまとめあげた作品を僕はまだ知らない。


芸術的なまでに馬鹿な物は絶対に馬鹿には作れない。