私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

私の村の掲示板

自分のアイディアを自分で評価するとき、評価しているのが自分自身ではなくて自分の頭の中にいる「誰か」であるということがままある。
自分の頭の中には何か村のような物があって、その村には自分の家族や友人、自分に影響を与えた人達等が住んでいるのだ。村の中心に置いてある掲示板に、浮かんだアイディアを貼っておくと通りかかった住人達が何かしらのリアクションをとっていく。それ次第でつまらないアイディアとして忘れていくなり、推敲して研くなり、実際に言葉とか行動にして発信するなりしていくのである。
例えば、Aさんをおしゃべりで笑わせたいとする。そこで話の構成やトーン、オチを組み立てていくのだが、そういった工夫がAさんが喜ぶレベルにまで到達しているかどうかの判定は頭の中にいるAさん次第。Aさんに喜んで欲しいと思ってしゃべり出した時点で少なくとも僕の中のAさんはその話をすることで喜んでくれているはずなのである。現実で判定どうりに行くことは僕の場合あまり多くないのだが。

村に誰を住まわせるのか、住人と現実の人とのギャップはどれくらいかというところで人格とか価値観とか決まってくるんだろうなぁと思ったりしている今日この頃。僕の最近の頭の住人とのやり取りはというと、
・両親に笑い話を聞かせようとしたらオチ前で飽きられる。
・他人は愚か過去と未来の自分からダメ出しされる。
・僕の下手な先輩面に愛想も尽かさず付き合ってくれた後輩から「無理しなくていいですよ(訳:止めた方が身のためですよ)」という目をされる。
・真面目な話をしようとしてるつもりが友人は大爆笑してる。
・兄はいつも僕を否定してくる
といった具合

以上、悲しい妄想に正統性を持たせようともがいてできたお話でしたとさ…