私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

「理屈じゃないっ!」て、理屈じゃない?

読者の皆さん、理屈っぽい奴ってモテないですよね?そこで同意をいただけないと僕がモテない理由が理屈っぽいこと以外にあるということになってしまうので同意は得たものとします。

 

 

そんな僕なので、よく、理屈バカの汚名を浴びせられる。もちろんこちらに落ち度があるときは素直に従うように努めるが、ふと思うのは、理屈では成り立たないものに対して理屈で対応している人に、「理屈では成り立たないものに理屈で対応しようとするような馬鹿なのだ、お前は。」という言葉を浴びせることは見事に成立した理屈だということ。理屈ではないという人間が成立した理屈を使用することでこちらを卑下することができていると感じているなら、それは理屈が合わない。だからこそ「理屈じゃない」という人間には理屈で勝てない人間の泣き言だと思うことが多いし、「屁理屈だ」という人間には屁だろうが糞だろうが成立した理屈であるならばそれは真であろうと思うことが多い。かといっても「人の、主に感情は理屈じゃない」という立派な理屈が世の中成立しているというのも事実。ここまで理屈っぽく書いてみたが、このこと自体が僕がそもそも理屈バカであることを証明している、というのも理屈として成立してるのだろう。

 

 

ちなみに、理屈っぽい=モテないことと僕がモテないことが理屈っぽいことにあることは必要十分ではないので、まぁ、うん。今日はふて寝かな。