私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

ばれなければ何をしてもいい。

ホントにつくづくこう思う。

 

努力しなくたって成果が出れば努力したと評価されるし、

大概の悪いことって、隠すのが下手だからとかわざとばらして困らせることを目的とされているかのどっちかである場合だと思う。人殺しだって殺している側、殺されている側含む世の中のすべての人に自覚がなければ、全然ありだと思う。事実こういう殺しは横行していると思う。

逆に、ばれたということを演出することでなかったことをありにされたりするなんてこともある。

 

恐らく世間的に少数派の意見なので、同情を買うために僕のかわいそうな話を一つ。

小学校から中学校にかけていじめを受けていた。自殺の妄想なんて日常茶飯事の毎日。今みたいに言葉にできるほどはっきりした考えではなかったけど、物事は認識したときに初めて存在になるんだとは感じてた。いじめて来る側はいじめと思ってるわけじゃなくて遊びの延長ぐらいにしか思ってない、自分さえいじめられてると思わなければ、いじめなんてあったことにもならない。そう思うことで日常をこらえていた毎日だった僕をあっさりくじくのは、案外学校の先生だったりする。

「先生に気を遣うことはない、助けてやるぞ。お前はいじめられているんだから」

僕のいじめの記憶で、ベストを争うつらい思い出。

 

 

ただ、だれが何と言おうと、「実際にした悪いことがばれる」ということを起こさない一番の方法は、そもそも悪いことをしないことなのは間違いない。

努力しなくても評価されるほど僕は小器用じゃないからこそ、僕の場合は努力は必須なんだし。