いい若ェもんが言い訳していいわけ?(2)
もし、言い訳の内容がまるで見当違いの人間が仮に成功を収めたとして、言い訳したかったところを勘違いしたままだったとしたら、それは成長として大丈夫なんですか?と思ってしまう。もしかしたらまた同じミスを繰り返してしまうかもしれない。
僕は何かしらの開発者のインタビュー記事を読むのが好きだ。多くの場合、ほとんどの内容が宣伝なのだが、僕にとってそこは本題ではない。本題は開発時の苦労話のところだ。ブレイクスルーはどのようにして起きたのか、なぜ問題が起きたのか、なぜ問題が予測できなかったのか。インタビューされた時点で解決されたからこそ言えることなのは重々承知しているのだが、これはある種の言い訳に他ならない。そういうところこそ自分の為になるようなことが多い。
悔しいのは計画がとん挫したものは多くの場合インタビューにならないこと。
企業のようにお金がかかわってくると失敗したことをさらけ出す事はリスクの方が大きいのだろうが、インタビューを読むその企業に憧れている人こそがそういった失敗談から学ぶべきことが多いような気がしてならない。
そして、このことは企業に関わらず、個人の規模の話でも同様だ。
続く