私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

名言の類は信用ならない

僕の持論。

僕の嫌いな名言の中に「やらずに後悔するくらいなら、やって後悔したほうがいい」というものがある。これは、「やらないという決断」をやるかやらないかととらえてしまうと、言葉自体の意味がなくなる。名言の類にはインパクトのために省略を行い、言葉としての価値を無くしているものが多分にあると思う。

でも、もちろん意味があるものもある。が、それも当てになることは少ない気がする。

名言ではないが、僕の体験談を一つ。心理学の実験で、「人は規模を表す数字より、具体的で狭い世界の話の方が、共感を抱きやすい」という記事を読んだ。(例えばトイレットペーパーの節約を訴えるときに、紙の量あたりに伐採される木の数を訴えるより、森の消滅で絶滅した鳥の話や環境が変わったせいで荒廃してしまった村の女の子の人生の話の方が、効果が高い。という研究だった気がする)僕の感想→「感情に揺さぶられて見えなくなるということが人間には起こりうるのか」。僕より人間力や道徳を重んじる叔父の感想「やっぱり、人の芯には感情があるということなんだ」。

僕の体験談の他にも。「情けは人の為ならず」は人を甘やかすべからずという世間で過半数の解釈は間違いで、本来は、めぐって自分に良いことが起こるから優しくしておけという利己的な意味だったりするという現象を思ってもらってもいい。

 

名言はただの言葉で、それにどんな意味を与えるかなんて読んだ人次第で変わる。同じ言葉でも発言した人の意味するところは180°変わることだって多くあるに違いない。大切なのは、健全な解釈をできる自分を、教育なり、努力なりで作ること。うすうす気づいている自分の改善点を名言のせいで気づいたような気がしているに違いないんだ。まぁ、間違った伝わり方でも、良い結果が生まれるならそれはいい言葉であるというのには違いないんだけど。

結果を出した人の言葉はいい意味が含まれているに違いないという錯覚はあるに決まってる。

 

この持論に説得力を持たせるには、まず僕が結果を出すこと。結果が出せるようになる名言、どっかに転がってないかなぁ。