私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

食い物の定義(2)

ラーメン、ロコモコという言葉の持つ包容力はものすごい。

 

好きな人が「あんなのは〇〇じゃない、邪道だ」などということはオタクである僕の周りには往々にしてあること。でも、そんなのは多くの場合個人の言い分でしかない。その〇〇という言葉がもつ意味を自分が望む形にしたいだけ。多数派が正しいと思うことが正しいとされることが多いこのご時世、それは肩身が狭いばっかりだ。でもこれはちょっと危険思想だな。

 

 

 

ロコモコと聞いたり、ラーメンと聞いたりして頭に思い浮かぶもの以上に実際の物のが持つ意味の広さは広い。想定外の実際の物に出会ったとしても、それはロコモコとなり、ラーメンとなってしまう。その名前がついている以上、何かその言葉の持つ(想定外を作り出した人にとっての)意味の核みたいなものはそこにあるはずだ。

 

とすると核がどういったものかで言葉の意味の範囲が決まるはず。

ここでふと思い浮かぶのが「わらび餅」。スーパーで売ってるわらび餅の大半は、片栗粉を固めた物。わらび粉を一切使ってない。「わらび餅」の言葉の範囲は、高価なわらび粉でなくてもわらび餅と言うことで商業のチャンスを作ろうとしたという経済的な理由での核によってきめられたということになる。悪くはないけど不純な気がする。

 

そこを行くとラーメンやロコモコはそんな匂いがしないだけなんかいい言葉な気がする。

 

ここからはただのオタクのゲーム賛歌。

ゲームの「スーパーマリオ」はその点ですごいんだと思う。姫を助けても、配管工やってても、冒険しても、スポーツしても、パーティしても、レースをしても、それは「スーパーマリオ」になってしまう。もちろんそれはマリオの核をしっかり理論化して、意図的に組み込んで作ってる人たちの努力の結晶なんだろうケド。

 

そんな包容力のある言葉の核が少しでも明確に捉えられるように、あわよくばそんな包容力のある核を作れるように、なりたいんだと思う。今の僕は。