私の「面白い」

私の「面白い」

読んでくれたら嬉しい。共感してくれたらもっと嬉しい。でも私のために書きます。

最高の敵の在り方(3)

日本人にとってのゴジラは核戦争の被害者であり、日本人にとっての原爆そのものであり、もしくは日本が被った災害そのものであり、日本の持つ”畏怖”というの感情の具現化だと思う。
もともと八百万の神という考え方を持っているところからして、神という存在の在り方や、恐怖や悪の存在に対するイメージというものが西洋のそれとは違う気がしてならないの育った環境や文化の影響を受けたクリエイターがエンターテイメントを作り、その違いの一つとして悪の表現の違いとなって出てくる。そこを理解せずに自分の好みに合わないと思ってしまったり、好みに合わせて作り替えたりしてしまうと何か残念なことが起こるのではないかと思ってしまう。


トッドフィリップス版のジョーカーではほぼ最後のシーンでジョーカーを神格化するシーンがある。一度死んでからよみがえり、十字架のようなポーズをとって人々に称えられる。僕がダークナイトのサタン的なキャラクター設定がジョーカーの本質だと思い込んでしまったのが原因ではあるのだけど、少し違和感に思えた。ジョーカーが神に勝った場合の演出をしているとして、あの象徴的なシーンが意味するところは何だったのだろう。サタンは神になりたかったのだろうか?

僕はあの映画を夢落ちの映画だと思っている。ジョーカーのが最後に口にする、君にはわからないというジョークの内容を2時間にわたって映像作品にしたというなら、変に考えれば考えるほどジョークだと笑われているような気が気がする。